コラボレーション

2003版 その3

というわけで、今回からの連載はあくまで、構造の分析です。出来るだけ細かい点もフォローはするつもりですが、わかんない!って言う方は録画したM1を見ながらこの原稿を確認するか、それとも、いつか出るであろう「M1グランプリ2003」を見ながら読んでいただけると、きっと新しい発見があると思います。

逆に、純粋に「笑えればいいじゃん!」という人には細かく分析が入っているので逆にお笑いがつまらなくなるかもしれないので、これ以降を読まれることをお勧めしません。

さて、最初の分析は「千鳥」
今回のネタの構成は
<入り><ネタ1><ネタ2・シーン1><ネタ2・シーン2><ネタ2・シーン3><おとし>
と分けることが出来ます。
さて、各部分の分析ですね。
<入り>
ここでの最大の特徴は、小さい頃何をして遊んでいたか?という、漫才のスタンダードの題材を遠まわしにしている所です。
今回の彼らの漫才の特徴はこのスタンダードなものに対しての別アプローチといいますか、回りくどさに在ると思います。
ただ、逆にいいますと、スタンダードが分からない人にはただの回りくどい表現でしかなかったりするのが厄介なところですね。

<ネタ1>
ノブ(つっこみ)の小さい頃の遊び「ぼんさんが屁をこいた」が題材になっています。
この「ぼんさんが屁をこいた」という遊び、関東では「達磨さんが転んだ」と同じルールだと思われるのですが、聞きなれない岡山弁と聞きなれない遊び、それにM1のオープニングということで、彼ら以上に観客のほうが緊張していたのか大きな笑いには繋がらなかったですね。

<ネタ2・シーン1>
続いて大悟(ボケ)の小さいときの遊び「虫取り」が題材になります。

このネタ2・シーン1はシーン2・シーン3と続く笑いの伏線がいくつか張られます。そこをピックアップ。
伏線1
岡山弁での長台詞を用意することにより、彼らのキャラクターを伝えると同時にネタの中の登場人物のキャラクターの紹介も行える構造になっています。これと対になって「さっちゃん」は台詞が短く用意されておりキャラクターのコントラストがつけられています。

伏線2
動き+フレーズ連呼
だいくんはズボンに蟻が入ったと一緒に来ているさっちゃんに払い落としてもらおうとするのですが・・・
この動き本来の目的であるはずの「蟻を払い落とす」事からほど遠い動きです・・・そう、本当の目的は・・・
これに気がつけるのは漫才の後半に入ってからになります。
また、この伏線は伏線1が割りとゆっくりとしたリズムであるのに対して明確にスピードを上げており、且つ視覚的な面白さも入っています。

伏線3
語感の面白さ
伏線2で上げたスピードをここで緩めます。
連呼から、短いフレーズにして意図的な間の形成が行われています。そして次のシーンにスンムーズに移行が可能なようにされています。

さて、このシーンではネタ1と同様、観客側に「何」をしたいのかが伝わりきっていないため、クスクスと言いますかドヨドヨとした笑いしか起きません。しかしこれは彼らの計算でしょう。シーン2・シーン3ではこれらの伏線を駆使した笑いが展開されます。

唯一の計算違いがあるとしたら・・・1番くじを引いたことに他ならないのではないでしょうか。

さて明日からは千鳥のネタ分析後半に入ります
<ネタ2・シーン2>「珍しい虫がいる」
ここでは、シーン1で張られた伏線と同じ順番でコントが展開されます。つまり同じ構造といえます。
この事により、観客側は「異物」であった岡山弁やまわりくどさ語感の面白さに観客が反応しているのがわかります。

まぁ、観客のほうもM1の空間にこの頃慣れ始めたという事も考えられますが・・・

変わりばえの無い状況、同じ展開・・・ともするとこのシーンは無駄ではないか?という疑問がわきます。
単に慣れさせる為でしたらシーンチェンジする必要はないですし、そもそもを「関西弁」でやれば良いだけですから。そうなると、このシーンチェンジには意図が有るし、岡山弁でやる必要が彼らの中ではあったという事になります。

それはなんでしょう?

更に細かくネタを見ますと
伏線2での動きはシーン1の動きより過激で当初の目的からズレています。
また、「さっちゃんが見えん」という台詞も言っています
更に、「もー虫が見えとんか」という台詞。
これらの台詞はあまりにさり気なく使われているし・・・
この辺から「山に来た目的」とこの漫才の「下敷き」がうっすら見えるように作られています。

<ネタ2・シーン3>「告白」
ここでは、伏線の帰結を2・1の順番とする事で印象付けようとしています。
そして、伏線1に対応するところでこの山に虫取りにきた理由が告白されます。

<おとし>
ここでは伏線2と伏線3の合わせ技のようなものを使っていてます。それに加えてノブさんがさっちゃんキャラを長い事やってきたので、そこのバランスを考えたのでしょうか?それともお笑いに携わってきた人間の性でしょうか、良いシーンの後にはグデグデのものを放り込みたくなるのは・・・・。

しかし、あまりの展開の速さに観る側がついていっていたのかは疑問が残ります。

さて、シーン2の所で「下敷き」という表現を使いましたが
これは確信は持てないのですが、慣用的な表現で年頃の女性に男性が近づく事を「悪い虫がつく」といいますよね。
大悟さん=悪い虫
ノブさん=年頃の女性
なんて考えると、単なるエロ漫才ではないと僕は味わいました。

また、ネタ2の冒頭でのやりとりからは、今日が初めての山での虫取りではないんですね。
何回も何回も山に虫取りに行っているのになかなかきっかけが無くて告白できない不器用な男の子の一か八かの大作戦と考えても良いですし、
「下敷き」から考えて、ノブさんが年頃の女性で大悟さんが男で、ある種の性的なプレイと考えても良いですし。
(ネタ後のインタビューからすると、ラサールさんは前者、今田さんは後者、紳助さんは両方の可能性を考えながら観ていたんではないでしょうか・・・)

さて、纏めです。
方言自体に面白さ(標準語よりはるかに感情を伝える能力があるのではないでしょうか?)
漫才そのものをコント化する技法(コレについてはスピードワゴンの時に解説します)
この辺が見所だったといえます。

最初にことわると、今回の麒麟に対する分析は「どうして点数が伸びなかったか?」というところがポイントになるため辛口です。
でも、悪口を言いたいのではなく、彼らの漫才のよさを伝えていく為には僕なりのベストの表現方法かなと思って書きます。

まず、ネタの構造から
<つかみ>
<ネタ1・シーン1>トラック
声1機械音  声2低い声
ボケ1つ「バックします」

<ネタ1・シーン2>券売機
声1機械音  声3気まぐれ屋
ボケ2つ
ボケa「気まぐれ発言」
ボケb「バック再登場」

<ネタ2・シーン3>横断歩道
声1機械音  声4渋声
ボケ1つ「とうりゃんせ(歌)」

今日の分析はココまで。
入りはいたってノーマル。麒麟のお約束になった川島くんの「低音」から。
このネタ1の部分において、麒麟はとにかく川島くんの「武器」を最大限にアピールする作戦だったように思われます。そのため複雑な構造は無く、それぞれのシーンは短く構成されています。
まぁ、シーン1のボケをシーン2のボケbで被せていますが、この辺は基本ですからね。

とにかく最初にポンポンと短いネタで笑いを取ってリズムを作りたかったんでしょう。現に千鳥の前半よりしっかりとした笑いが起きてますから。

シーン1・2共に25秒ほど。シーン3でも35秒ほど。
後半の分析でも述べるのですが、麒麟が一番長くネタを演じて、一番多くシーン展開をしているんですね。なのにここの部分は短いんです。

さて、ここからは私見です。
M1のビデオを何回か観ていて文字起こしまでやると、面白いという部分が変わったりしてきます。なんで?ここはそれほど笑えなかったんだ?とかいう視点になってくるんですね。
そう言った意味でいうとこの麒麟の前半部分は麒麟の良さは出ているのになんか単調だな~と思っていたんですね。
最初は川島くんの「声」が出ていないと思っていたのですが、どうやら別の所に原因があったようです。

書き出すと
理由1
各シーンの展開が「機械音情けない」→「それなら俺がやる」→「ボケ」→「突っ込み」
この繰り返しなんですね。

理由2
無駄な台詞が多い。
ただでさえここで麒麟はリズムを作りたかったはずで、出来るだけシェイプアップされた漫才をしなきゃいけなかったと思うんですよ。それなのに例えば冒頭の部分で
川島:機械の声が多い
田村:増えている
川島:アナウンスなどが多い
田村:多いですね
(敬称省略、ネタは原文の要約です)
これ、笑いを取りに行く場所ではないのですが、こういう部分からリズム感は殺がれていきますし、なによりお笑いの先輩には厳しく評価されてしまったのではないでしょうか。

理由3
ボケの川島くんがこのネタ1の間で使用した声色は実に4種類。
被せたり、歌ったりしてその個性を発揮しようとしているのですが、いかんせん田村くんの突っ込みがこの前半では単調になっています。
どういう事かと申しますと<ネタ1・シーン3>での彼の発言機会は5回。
この5回の発言機会で「・・・、お前!」の登場回数が4回。

多すぎます。

まぁ他のシーンでも多いんですが、倒置法のこの文法は強調効果がある反面、耳に残ってしまうし、やはりどこかで聞き取りにくさを持っている為に多用された結果として飽きが生じたように思われます。

↓に続く。
上からの続きです。
後半の展開は
<ネタ2・シーン1>目覚まし時計
声1機械音(目覚まし)  声5低音
ボケ1つ「命尽きるまで」

<ネタ2・シーン2>TV
声6機械音(TV用)
ボケ2つ
ボケa「ドリル」
ボケb「アンパンマン」

<ネタ2・シーン3>トイレ
声7機械音(便座用)
ボケ3つ
ボケa「持ち帰る?」
ボケb「フンバリタイム」
ボケc「ルーレットタイム」

前半と後半では幾つか違いが起きます。
ネタ1では各シーン短く、機械の声が情けないという共通の話題から発生してはいたのですが、それぞれ絡んでいるものでは無かったですね。
それに対して、このネタ2は「カーナビのような家電のある生活」という事で、ストーリー性のある展開となっています。
フリも前半は川島くんがやっているのですが、後半では田村くんがリードになっています。

さらに、後半の各シーンではボケを発展させています。
ですから大きな笑いは起きているんですね。
また、麒麟好きならお馴染みの「田村くんを何に喩えるか?」も入っていますし、得意の歌をここでも使っているんですね。

しかし。長いな・・・ネタ時間4分なのに合計で5分25秒。
<ネタ2・シーン1>が35秒
<同・シーン2>が1分10秒
<同・シーン3>が1分50秒

この1分以上のオーバーの為麒麟だけ審査員からのコメントが無かったくらいです。この辺はプロ意識の問題で、千鳥や2丁拳銃、りあるキッズは巧かったですね。

さらに、夕飯時に直接的な表現は無かったものの「汚物」「排泄物」のネタはどうなのかな?
アンパンマンの展開とか良かっただけに勿体ないですね。

加えて、テキストにUPしていますがこの漫才は「非典型漫才」なんですね。最後の「オチ」にこれまでこのネタで築いてきたボケやつっこみはそれ程機能していないのですね。
そう言った意味で、最後の加速感は足りなかったように思います。

この麒麟のネタ分析のポイントは
・リズム感を作る時は出来るだけシンプルにする。
・つっこみ次第ではボケが死ぬ事もある。
・やはり特技があるとネタの展開はしやすい。

以上となります。
さて、2年連続でM-1の決勝に駒を進めた彼らですが彼らが今回のM-1で見せたネタの特徴をまず上げますと、漫才を根本的に「コント化」する技法の導入にあります。
この話をする前に少しだけ細かい説明をします。
漫才には様々なスタイルがあります。最も代表的な手法が「しゃべくり漫才」でしてコント的な状況の面白さで笑いを取るのではなく「しゃべりの面白さ」で笑いを紡ぎ出すのですね。
これの反対がコント漫才なんですがこの両者境界線がはっきりしているものでは無いのですね。
しかし、今回のM-1で言いますと麒麟は前半しゃべりの分量が多いのですが、後半は完全にコントインしていますし、アメザリもきっちりコントインしています。千鳥はその大半がコントでした。去年でいえばダイノジはコント分量がとても多いコンビだと言えます。

さて、そんな中スピードワゴンはどうだったでしょうか?
冒頭、音声の入りが凄まじく悪い状況で小沢さんはなんと言っていたか
「結局あいつ来なかったな・・・この約束の丘で5年後に会おうて言ったのに・・・信じた俺が馬鹿だったのか。でも勇気出して振り返ったらアイツ来てくれているかも、勇気を出せオレ!!
・・・今日漫才?」
この入りとても好きです(個人的な感想)。
というのも、2000円払って参加し予選を勝ち上がり前の2組ががっちり漫才をしていた上で
「今日は漫才?」
です。素敵過ぎます。
しかし、そういった外部的な状況との複合技ではなく、漫才をやる上でどんな状況かわかる台詞をボンっと入れてきているんですね。漫才を否定してるのではなく、漫才のセオリーに無い事をしているです。この辺は千鳥の入りと同じ作戦と言えます。

さて、ネタの構成を見ていきましょう
入り
ネタ1「さっちゃん」
ネタ2「グリーングリーン」
と実にシンプルな構造なんですね。
なぜシンプルかというと、この漫才コント的なものを物凄く取り入れているけれども、基本的に「しゃべくり漫才」だからです。
もう少し言いますとボケとして「コント的な状況の面白さ」は使っているのですがそれ以外ではコント的な技法は使っていないのです。
千鳥は先ほども言いましたがきっちりとコントインしていますが、スピードワゴンはそれをせずにコントインしそうにさえあまりなりません。
あくまでも、漫才の常識をわかった上でのコントボケなんですね。
これ、今回のM-1で決勝まで勝ち上がらなかったですが「プラン9」も見せています。

(話はそれるのですが、プラン9のコントで「大阪病院」というのがあるのですが、コレは他のお笑いの基本系を「下敷き」にしてコントにしています。すごい面白いのですが・・・ビデオなどにはなっていないので頑張ってファンダンゴなどで探してください)

さて、話は戻ってスピードワゴンのネタですが、
ネタ1の「さっちゃん」
かの有名な「童謡」が題材になっているのですが、最初のボケはその前の導入で「童謡が可愛いか?」というものとかかっているんですね。
これに加えて、突っ込まれた後に
「パーティー抜け出さない?」
これも秀逸なボケでして、たった一言なんですがしっかり状況がわかるボケですし、何より漫才の常識に無い「フレーズ」なんですね。
2つ目のボケは同じ様に状況説明のボケをした上で、コントから抜け出せなくなった小沢さんを井戸田さんが「のっかって」います。
3つ目のボケからは短いボケでリズムをつくっています。
6つ目のボケにいたってはついに小沢さん歌えなくなっています。

この長い長い短い短い短い長いというボケのリズム感。なんでもないようですがとても漫才を見るうえで、見やすいかどうかにかかわる部分で大事だと僕は考えます。

ネタ2もやはり有名な童謡「グリーングリーン」が題材になっているのですがここでもやはり長めの状況説明の「ボケ」で入ります。
といってもボケ1つでネタは終了するのですが・・・。
麒麟が長すぎたせいなのかそれとも予定通りなのか彼らのネタ時間は3分台ととても短く終了しました。
最初の音声がしっかり入っていなかった部分とこの時間をあまらせて終わってしまったこと・・・ここが悔やまれます。

ここからは本当に個人的な分析。
井戸田さんは「可愛い」と言っていた「童謡」を小沢さんは終始「可愛くない」と否定しています。まぁこういうかみ合わない部分が無ければ漫才にはならないのですからここは当然なのですが、小沢さんの状況説明のボケ、これただの状況説明のボケではなく井戸田さんを「動揺」させる状況説明なのではないでしょうか。
井戸田さんは「童謡が可愛い」と言っているのですが
小沢さんは「動揺なんて可愛くない」
それをわからせる為に最後の「グリーングリーン」のボケが有るし突っ込みがああ成るのではないでしょうか?な~んて根拠は無いんですが・・・でもそうだったらとても面白くありませんか?

凄い時間が掛かってしまいました。
というのは、書き上げた原稿をここのHPにUPさせようとした時に、ほんの出来心的に「お笑い」を全く見ない人は彼らをどう判断するんだろうか?という疑問が出てきましてですね、実験しちゃったんです。
これがイケナカッタ・・・・(笑)

僕の事前の予想は、笑い飯のようなスタイルの漫才はお笑いをそれほど見ない人にも受け入れられるのでは・・・という予想だったのですね。
が、
一人目
「くどすぎて何処が面白いのかわからない」
二人目
「う~ん、ちょっと苦手かも」

えぇ、管理人はこれだけで判断しません、トレビアの泉で学んだ統計学で信用のできる数値を出すためには一定以上の被験者がいなきゃならない事は承知です。
が、流石にそこまでのネットワークも無いので10名ほどの友人に協力をしていただきました。
それぞれ皆、個人としては面白い人間です。
評価は
凄く面白い
面白い
普通
それほどでも
つまらない
の5段階で、審査員の評価は見せないようにしました。
年齢は全員20代です。男女比率は5:5です。
凄く面白い1名
面白い3名
普通1名
それほどでも2名
つまらない3名

正直びっくりしたんですね。
確かに結果的には半々と言えるのですが、会場や審査員との温度差がここまで在るとは思わなかったもんですから。

この結果は、直ちに分析の内容を変更するまでにはならなかったのですが、見直す動機には十分なりえたのです。
お笑い好きからは絶賛に近い評価を受けながら、お笑いに興味が無い人には受け入れがたい部分がある。この事がどうも脳裏から離れなかったのですね。

と言うわけで分析に入ります。↓の日記へ
笑い飯のネタ構成は
ネタ1(動く人形)
ネタ2(土器発掘)
ネタ3(授業での発表)
となっています。
それでは細かく見ていきますか。

ネタ1
動く人形のの所では去年のM-1分析にも書いたとおり、最初のボケは長く弱いものとなっているのですが、ネタが進むにつれ、ボケは短く強いものになっていきます。
また、動きはこのネタでは3パターン在るのですが、基本的に最初の2つの動きがメインで、単調な動きに対して説明する側がボケると言うスタンスを取っています。

これに対してネタ2では
前半は言葉によるボケを使いますが、後半は言葉にプラスして「掘る」動作に+αがあります。
具体的に言いますと、肩が外れたり、あがめたり、放り投げたり、ひれ伏したり・・・
ここでは執拗に動きを弄りながらも、よく考えると動きをちゃんと説明する部分もボケになっていたり突っ込みになっていたりと、アドリブ型のボケでは無いと言えます。

このネタ2の部分で個人的に大好きな部分は、
西田君のボケで
「業者の所、ええわ端折ろう」
という部分なんですね。
通常リズムを作る為に見ている側が容易にわかる部分は端折る事がテクニックとしてあるのですが、このように「端折るぞ!」と宣言することはまず無いんですよね。
なぜなら、リズムを作るために端折っているのに、ほかの説明を入れたらワンテンポ遅れてしまうからなんです。
漫才の常識を逆手に取る手法は今回いくつか見られましたが、その中でも非常に計算されたいいボケだと思います。

というわけで、後半へ↓
ネタ3はネタ1・2が博物館に行ったという設定だったので、それを踏まえて感想文を読むと言う設定です。

去年と変わった点はここでは無いでしょうか?

ネタ1~3までの設定の流れに無駄と言いますか強引さが無いんですね。ネタかぶりせず且つスムーズに流れているんです。

ネタ2の流れを受け動きのパターンを前半は多く(手を真っ直ぐあげない・お尻を突き出す・何度もあげる・にじり寄る)していますし、
中盤ではネタ2でのキワードとなっていた単語のボケが出てきます。
そして最後のオチはネタ1のボケがフリになっている構造です。

この漫才、僕のテキストに書いてある「典型的漫才」に綺麗になっているんですね。各ネタで使ったボケが最後のオチで集約されていて「オチが強い」です。

さてさて、最初に書いた僕自身の疑問。
どうして、僕のそれほどお笑いを見ない友人達にはウケが悪かったのか・・・そのひとつの答えが漫才の型をぶち破っていそうで、きっちり構成されていた今回のネタは、構成の妙がわかりにくかったのかも知れません。
極端な言い方をすると、彼らの漫才は音楽で言うところのPOPS的なわかりやすさは微塵も無く、通好みされる、ベーシストのソロプレイに近い物があるのかも知れませんね。
さて、久々にネタ分析です。全コンビが終るのは何時になるのやら?次のM-1の予選が始まっちゃいますね。

で。
M-1グランプリでよく話しになるのが、ネタが面白いかどうか。しかし、このネタの定義がなかなか定かになっていない状態で話がすすめられているんですね。
どういう事かといいますと。
「ネタ」=「台本」
だと考えると、コストなどの事も考えて、審査は予選などの形式をとらずに、「台本」の審査で行えばいいわけですよ。
究極「発想」というものも台本に現れやすいですよね。

しかし、お笑いを見続けている人ならば、同じ話をしていたとしても、順番や人が変われば面白さが変わるという事もすんなり分かりますよね?
こうなると、「発想」だけでは無い何か・・・それを経験と言い換えることも可能ですし、コンビの「味」と言えますし、「技術」とも言えますよね。

良い作曲家が良い弾き手ではないですし
良い作詞家が良い歌い手ではないですよね。

そもそも、お笑いの時代を遡りますと、「本書き」をする人と「演技者」は別々に居る事が多く、「やすきよ」「いとしこいし」さんなどはしっかり別の脚本家がいるんですよね。

もう少し前振りをします。
M-1グランプリは各コンビに持ち時間として4分が与えられています。この4分。長からず短からず。吉本の若手などが最初に舞台で与えられる時間はだいたい1分。しかし、ちゃんとした舞台だと10分位の時間でネタをやる事が多いわけで・・・。ベテランほどこの持ち時間が長くなるんですね。
4分を形成する為には1分ネタを4本やってもいいし、10分ネタを半分に編集してもいいんですね。もしくは新しくネタを作ってもいいですし。。。
巨人(ジャイアンツ)に工藤という投手が居るのをご存知だと思います。
彼は多くの投手が1順目より2順目・・・4順目と打者に打たれやすくなるのにたいして、真逆で後半ほど打たれにくいというデーターを持っていたんですね。
これは打者が何を待っているか、自分は何が決め球に使えるか、回を重ねる毎に掴んでいくタイプだそうです。

漫才師も、ベテランと呼ばれる領域になればなるほど、こういうふうに観客のストライクゾーンが見えてくるものではないでしょうか?
そうすると4分は勢いのある若手に有利であって、キャリアをつんできたコンビには厳しいもの(自分たちのペースになる前に時間がきてしまう)かもしれません。

さて、今回(とは言ってももう4ヶ月も前ですが)のM-1決勝にキャリア10年目で登場したのは2丁拳銃が唯一でした。
しかも前4組は新進気鋭の若手ばかり。さらに厄介な事に紳助さん曰く「超変化球投手」の「笑い飯」が大爆笑を取った後。。彼等は最もやりにくいタイミングで舞台に上がらなきゃいけないはめになっていたのです。
2丁拳銃の今回のネタは
ネタ1
発声練習
ネタ2 シーン1
タイミング(間)が分からない
客 小堀  店員 川谷
ネタ2 シーン2
タイミング(間)が分からない
客 川谷  店員 小堀

ネタの構造でいうとこれだけ。
実にシンプル。
ボケが小堀さんで突っ込みが川谷さんというのも終始変わらず、笑い飯のWボケW突っ込みの早いテンポ漫才からすると非常にすっきりとした印象がしたのは僕だけでしょうか?

さてさて、今回のM-1に限らず、多くの舞台で芸人さんは「台本」通りの演技をしようとしますが(中には違う人もいます)正確に言おうとしているコンビ(芸人さん)ほど、間違ったり違ったことを言われた時慌てちゃって表情に出てしまいがちです。
しかしこういうコンテストほど緊張し易いというのは容易に想像がつくわけで・・・前に分析したコンビの中にも「噛んだ」コンビがいましたね。
しかし、明らかに台本に無いセリフを言ったのは2丁拳銃が唯一だと言えます。

丁度ネタ1からネタ2への転換部分
「「笑い飯」あんなにうけるんだもん・・」
「いやいや、そんなん言うたらあかんやろ」
何気ないセリフで、時間にして5秒ほど。ホントに僅かな事。
しかしこれが今回のM-1の中で最も「漫才」な部分であり最も「人間臭い」部分でして。

ネタの細かい部分を見ましょう。
ネタ1では渇舌を良くするという発声方法を小堀さんが教えます。
この時渇舌を良くする訳ですから、言いにくい早口言葉の類を連想させながら、小堀さんの川谷さんへの指示は「見て!」
ウィッキーさん(古いな~)を連想させるこの一連の動作は「英語の発声練習」をネタにした時にはしばしばネタに使われる事がありますがこういう飛ばし方は中々無いですね。
また、前半部分のここではスタンドマイクをはさんだ狭いエリアだけでネタを展開させていきます。

続いてネタ2
ここでも「漫才師に大切なものは」というネタ1からのスムーズな接続を持って「間」だという話から何故か「ファーストフードの店員とお客」という状況に移ります。
今度はネタ1とは変わって「動き」がある展開です。
遅いと言われれば早すぎるなど、老若男女地域問わず分かり易い展開ですすめていきます。
しまいには
「お前来て」
この一言でポジションチェンジをさせます。
実はこのポジションチェンジ、面白い発想でして。
4分間という限られた時間の中で漫才をするとなった時に細かく幾つものネタをやると統一感が損なわれがちですし、場合によっては時間を大幅にオーバーしかねない。かといって1つの状況を繰り返せば逆に間延びしかねない。
ところがこのポジションチェンジは立場が変わったけれど状況は変わらないわけで統一感は失われないけれど、観る側に飽きもこさせにくい工夫だといえます。
店員側にまわって小堀さんのボケはより「妄想的」なものになっていきます。

実に味わい深い漫才。残念な事に最終決戦には上がれなかったですがこうやってみるとたかだか4分なのに実に様々な思考で出来ていると分かって頂ければ幸いです。

まずはネタの構成から
シーン1A
ニュースキャスターになりたい。
遅刻→衝撃映像→リプレイ→続いてのニュース
→緊急ニュース→パンダ→チャンネルを変えて・・
→今日の占い

シーン2
CM
清涼飲料→中華料理→薬

シーン1B
今日の占い→オチ

接続詞でネタを繋げる漫才ではなくひとつの状況を丹念に追っていく形の漫才と言えます。今回は分析の都合上シーン分けしましたがその必要もないくらい一本の線上にある漫才と言えます。
お客さんの様子を見ながらネタをスイッチしていくことが出来難いスタイルと言えますので当たり外れが大きいかも知れませんね。
アメリカザリガニの良さとは何か?
回転の速い突っ込みとひょうひょうとしたボケ、そして息の合ったコンビネーションに在ると僕は考える。良い意味での「温度差」がコントラストになり笑いを増幅させていくのだ。
しかし今回に関してはその増幅感少ないのだ。

台本的な問題点は最初の分析で書いたとおりである。CMがラジオ向けであり「視覚情報がメインのTVCMとしては無理がある」という事だが今回はそこは置いておくことにしよう。

特に噛んだわけでも無い。不謹慎な台本だったわけでもない。
表現力が足りないわけでもない。
しかし彼等は最下位になった(とはいっても1906組中の9位だが・・)

なぜだろうそう思いながら繰り返してビデオを見て思ったのが最初に書いた人々のコメントだ。勝ちを意識してM-1にネタをアジャストしたんではないだろうか?根拠は無い。
だからこそ開き直った彼らが今年も頂を目指す姿を見たいと思うのだ。
フットボルアワーのネタの構成ですがこうなっております。
導入部
いろんな事に挑戦したい。
ネタ1・シーン1
婚約指輪披露

ネタ2・アレンジ1
カメラ・・・ポラロイド

ネタ1・シーン2
奥さんを中国人に喩えると?

ネタ2・アレンジ2
カメラ・・・古いカメラ

ネタ1・シーン3
奥さんを普段なんて呼んでいるか?

ネタ2・アレンジ3
カメラ・・・証明写真

接続部分(手短に質問)

ネタ1・シーン4
結婚と掛けて・・

ネタ2・アレンジ4
カメラ・・・すかし

おち

さて、このフットのネタ自体の細かい技術的な部分はM-1終了直後に分析をしているのですが1つのストリー上で殆どの漫才を進行させて行く点はアメザリなどと同じです。
(麒麟は明確に場面転換がありますし、2丁拳銃は導入部分が長めに取られ掴みに近い形になっています)

アメザリの漫才のときに審査員から「鮮度が」という話が出たがこのフットのネタ自体はこの年単独だけではなく大きな大阪で行われたコンテストにも掛けられたネタである。
なのに、フットは「鮮度」というものを言われなかったのだろうか?

勿論テクニカルな部分での違いは有る。
しかし、よーくこの時のフットの漫才を聞くと噛んでいる部分もあるし完璧というものではない。が、この漫才無駄がほぼ無いのだ。
典型漫才のように全てにおちへの伏線が張り巡らされているわけではないのだが、導入部分を多少延ばしたりすることは出来るだろうけれども、ボディとなっているネタ1・ネタ2の部分で削れるところが無いのだ。
そしてこの漫才、フット以外の誰がやっても面白くないだろう。
つまり、完全にフットの漫才なのだ。岩尾くんというキャラクターと後藤くんという個性だから成立している。
ここが評価を押し上げている点だろう。


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